海神楽演目解説

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DISK1

■お神楽

奉納神楽の際には、この演目から始まります。冒頭の「ちはやふる 玉の御すだれ巻き上げて 神楽の声を聞くときぞうれしき」という神歌は、次に回れる儀式舞の前奏曲。代表的な“神迎え”の儀式で、石見神楽八調子の演目です。

■塩払い(しおはらい):塩祓い

神のご降臨を願う前に、舞座を清める儀式舞です。橘の小門の阿波岐原(あはきはら)の海水で禊(みそぎ)を行った神話に起源があるとされ、「四方の神々よ、ここにお集まりください」という意味で多くの社中が石見神楽の基本の舞として演じています。また、東西南北の四方を拝むことから“四方祓い”の転訛したものとも考えられています。石見神楽では六調子、八調子共にあります。

■道返し(ちがえし)

この物語は、古事記、日本書紀に書かれた物語を神楽にしたものです。
全世界を支配しようと四海万国を荒らしている大悪鬼が異国より日本にやってきました。これを常盤の国、鹿島の宮の武甕槌命(たけみかづちのみこと)が迎え討ち、抵抗する鬼と争いになりますが最後には鬼が降参します。武甕槌命はこれを退治せず、命を助けてやるから人を食べずに九州高千穂に行き、稲穂を食物として農業に従事せよと諭します。命を救われた鬼は、喜び勇んで高千穂に向かい農業に従事することとなります。こうして国土は平穏を取り戻すことができるという物語です。
道返しは別名「鬼(き)がえし」とも呼ばれ、鬼を殺さずに道の途中から返すという趣意に合うことから、後に道返しという演題が生まれました。石見神楽の鬼舞は、最後に鬼が退治されて国土が平安になる筋書きですが、鬼が許されるのはこの演目だけです。

■黒塚(くろづか)

紀伊の国の祐慶(ゆうけい)大法印が、剛力(ごうりき)を連れて諸国修行の旅の途中、陸奥の国那須野原(なすのがはら)黒塚にさしかかります。日が暮れてきたので一軒の家に宿を求めたところ、その家の女主人は喜んで宿を貸します。その女主人こそが万民を害する三国無双の妊婦金毛九尾の大悪狐でした。その夜女主人は悪狐となって現れ、剛力は食い殺され、法印一人が難を逃れます。
それを聞いた弓の名人、三浦介(みうらのすけ)と上総介(かずさのすけ)の二人が勅命を受けて那須野原に赴き悪狐を退治するという物語です。

DISK2


■寿唄(ほぎうた)

創作舞台「寿唄」で表現されているのは、大海にすむ龍の姿です。
亡くなった者の魂が集合し、エネルギーの集まりは段々と龍の姿を形作ってゆきます。寄り添いうねりながら上昇する龍は、最高潮まで昇ると再び海に還り、波を掻い潜ることで段々と浄化されてゆきます。
しがらみを持たない存在となった個々の魂は彷徨いながら、ふわりふわりと次の命を廻る旅へと向かいます。
舞台の前半、役者は面をつけて登場します。石見神楽では、面は神になるための重要なアイテムですが、この舞では面を「人の持つ不純を隠すもの」として身につけています。
一番大きな存在である龍の頭役が登場すると、役者たちは面を外し、個々の存在から、体をうねらせ回転する龍神へと姿を変えてゆきます。激しいエネルギーをほとばしらせつつ上昇してゆく龍は、最高潮に達すると、ふっとその体の繋がりを解き一人ずつ海に還ってゆきます。
最後に残った「光」の存在は、その身に龍神の力を受け、ゆるぎない生命を宿しています。
「光」は暴れる龍が破壊した世界を再生させ、そこにある総ての命を寿ぎつつ、ゆっくりと舞台を後にします。

■塵輪(じんりん)

塵輪は、第14代の天皇、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の熊襲(くまそ))征伐を神楽化したものです。
異国より攻めてきた数万の大軍の中に「塵輪」という身に翼を持った大悪鬼がおり、黒雲に乗って自由自在に空を飛び、多くの人を苦しめていました。仲哀天皇は不思議な霊力を発揮するという弓矢「天の鹿児弓(あまのかごゆみ)」と、天の羽々矢(あまのはばや)」を手に、介添えの高麻呂を共に従え、自らこの恐るべき敵に立ち向かい退治したという物語です。
仲哀天皇は上から見下ろすようにゆったりとした動きで、介添えの高麻呂は恭しく天皇に付かず離れずこれを守ります。顎が突き出ている塵輪の面は神楽面の中でも最も大きく不気味。鬼が舞の間に高所に飛び上がる演出も、飛行自在を示す動作で見応え十分です。石見神楽の鬼舞の中でも代表的なもので、二神二鬼の激闘を繰り広げ観衆の目を楽しませてくれます。

※熊襲は、九州南部(熊本県から鹿児島県に至る地域)に勢力を持ち、大和朝廷に服属しなかった勇猛な種族で、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に討たれた熊襲族長・川上(熊襲)タケルの説話は有名。

■頼政(よりまさ)

原作は、平安物語または源平盛衰記で、源三位頼政の鵺(ぬえ)退治を神楽化したものです。
平安の末期、毎晩丑の刻になると、京都東三条の森から黒雲が立ち込め、御所の上が覆われると、時の帝が病魔に侵され苦しみ出します。この黒雲は鵺(頭は猿、胴体は狸、、手足は虎、尾は蛇)という得体の知れない怪物でした。
化鳥退治の勅命を受けた頼政が弓矢の威徳により、家来の猪の早太と共に退治するという物語です。シリアスな場面もありますが、極めて娯楽性の高い神楽で鵺退治の前に、鵺の手下の猿たちが数匹現れて悪さをしますが、その動作がとても滑稽で観客席にも乱入するなどして見る人を楽しませてくれます。

■恵比寿大黒(えびすだいこく)

恵比寿、大黒は共に七福神の一人で、福徳を授ける神とされ、昔から農業、漁業、商業の神様として、崇拝されています。
この神楽は出雲の国、美保関神社の御祭神、恵比寿様が美保の御崎にて鯛を釣り、父である大黒様(大国主命:おおくにぬしのみこと)の住む出雲大社へ向かい、共々にこの国の五穀豊穣を祈り、幾久しく栄えるように節目の祝い事には餅まきをして、人々のそれぞれの願いの叶う「幸せの種」を与えながら舞います。
恵比寿様は、正しくは事代主命(ことしろぬしのみこと)といい、手にした釣竿は心が素直になることを表し、釣り糸は寿命を長くし、釣り針は万の神宝を釣り上げることを指していると言われます。
恵比寿・大黒の面は、いずれもにこやかな微笑ましい表情をしています。身振り手振りも面白く愉快で滑稽な舞は人気があり、見る人をほのぼのとした気持ちにさせてくれます。

■大蛇(だいじゃ)または八岐大蛇(やまたのおろち)

八岐大蛇は、石見神楽の代名詞とも言える代表的な神楽で、特に八頭の大蛇が織り成す蛇舞は凄みのある壮大なスケールの舞です。
素戔嗚神(すさのおのみこと)は、力がある乱暴な神です。悪行を重ねたことにより姉である天照大御神(あまてらすおおみかみ)の怒りに触れ、天照大御神は天岩戸(あまのいわと)にお隠れになりました。
高天原(たかまがはら)を追放され諸国を歩くこととなった素戔嗚神が出雲の国、斐伊川に差し掛かると、嘆き悲しむ老夫婦(足名推:あしなづち、手名推:てなづち)と、娘(奇稲田姫:くしなだひめ)に出会いました。理由を尋ねると「私共夫婦には八人の娘がおりましたが、この地方に住む八岐の大蛇に毎年一人ずつ娘をさらわれ、残るはこの娘一人となりました。今年もそろそろ大蛇が来るころになったので嘆き悲しんでいるのです。」と言う。
それを聞いた素戔嗚神は、大蛇を退治することを約束します。酒好きな大蛇を酔わせるために強力な毒酒を用意し、垣で囲み垣に八つの門を作り、それぞれの門に酒樽を置いて大蛇が来るのを待ちました。
大好物の酒の匂いに負けて酔いつぶれ、ぐっすりと寝込んでしまった大蛇に素戔嗚神は忍び寄り十拳剣(とつかのつるぎ)で格闘の末、退治します。この時、大蛇の尾から一振りの剣が現れ、素戔嗚神はこれに天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と名付け、後に天照大御神にお詫びとしてこの太刀を献上しました。
勝利した素戔嗚神は、奇稲田姫に「八雲立つ 出雲八重垣 褄隠みに 八重垣つくる その八重垣を」と和歌を詠んで求婚し、めでたく結婚するという物語です。

※素戔嗚神=須佐之男命
※天叢雲剣=後に日本武尊(やまとたけるのみこと)により草薙剣(くさなぎのつるぎ)と改名され、三種の神器の内の一つとなりました。